「随筆復興」のシーンの入口で

2025年という今年を振り返ると、2月に『エッセイストのように生きる』(松浦弥太郎 著)を読んで、自分が書いている文章が初めてエッセイだと自覚した。エッセイという言葉は知ってはいたものの、その言葉の意味を深く考えたことはなかった。エッセイを書きながら、同時にエッセイとは何かを考える年だった。
4月に創刊された『随風01』という文芸誌を手にしたのがきっかけで、巻頭の随筆を飾った文芸評論家・エッセイストである宮崎智之さんの作品(『平熱のまま、この世界に熱狂したい 増補新版』)に初めて出会った。宮崎さんは『随風』の企画人でもある。文学フリマ東京41にもお邪魔して初めてお会いでき、書籍を直接購入する機会を得た。
自分自身は、エッセイを自分のnote(https://note.com/86bunko)に一年で計200記事書き連ねていくことになった。文章自体は、小学校から書くのが好きだった。大学を卒業してから、ホームページやwebサイト、Blogと形式を変えながらも文章を書くことが続いたのは少ないながらも読者の反応があったからだ。
写真やデザインと同じように、自分の書く文章が好きだと好意的なコメントや反応をしてくれたりしたことが、自分が書く燃料となっている。
『随筆復興』という宮崎智之さんが掲げるスローガンは、じわじわと自分にも響いてきた。エッセイというシーン、ムーブメントがwebやリアルを通して自分を包み込む。エッセイを書いて発表するという条件をクリアすれば参加できる。アマチュアである自分も、「エッセイスト」を名乗るようになった。
写真でもかつて2005年頃にLOMOというロシア製のカメラで撮った写真のムーブメントがあった。そのシーンの最低条件は、LOMOのカメラで写真を撮ることだった。その当時、自分はそのカメラで写真を撮ることにのめり込んでwebサイトで公開していった。果ては、写真展を開きwebの向こうで写真を撮るロモグラファー達との交流を交わした。
『随筆復興』の入口に立つには、エッセイを書くこと、エッセイを読むこと。それらが必要であると思う。逆に言えばそれだけで入口に立てる。そのことが自分の気持ちを楽にさせた。もちろん優れたエッセイを読みながら、切磋琢磨しながら良い作品を書いていきたいと思う。
LOMOの写真のムーブメントは数年で下火になってしまったけれど、写真という文化は脈々と現在も続いている。
自分が注目して、表現者となったエッセイは歴史のページに一文字一文字刻んで続けていって欲しい。そのシーンの入口にやっと立てた自分は、これからその中に足を踏み入れてゆく。2025年という年に自分自身がエッセイストと名乗って、エッセイを書き始めたことをいつか振り返りたい。
最終更新日 2026-01-09 by Sasao








