あの頃のwebと、ごくごく飲んだ麦茶

小学生の頃に、友達たちと近所でかくれんぼをした。その時、自分は小休止のつもりで、自宅のドアを開けて家の中に入った。そこは安全地帯なので、よほどのことがない限り、鬼には捕まらない。冷蔵庫を開けて、麦茶をごくごく飲んだ。いわゆるズルである。でも、その時の安堵感はとてつもなく大きかった。飲み終えてしばらく経つと、また遊びに参戦した。
webに出合って、今年でかれこれ30年になった。snsも一通り体験した。インフルエンサーなどにはなれないし、なるつもりもないが。こうして今は、フォローという概念がないblogで記事を書いている。2024年の暮れに、自分のためにあるべき独自ドメイン(https://www.sasao.jp/)に出合ってしまったから、blogでもwebサイトでも始めようと思った。そして、もうすぐこのblogを始めて二年になろうとしている。
冒頭の話に戻す。人と違う方向に行って、ズルをして自宅で「麦茶をごくごく飲んだ」経験。それを今では、webでも同様なことを楽しみつつある。このblogを書くことがズルだとは思わない。けれど、snsにシェアしないでblogの記事を書くことは、その「自宅で麦茶を飲む」ことに似ているなと思った。
ものごとが一周して、原点回帰する。流行が時を経て、戻ってくる。そういうことを何度か体験してきた。ファッションであり、フィルムカメラで撮る写真などである。だから、webで書く文章も原点回帰するようにblogなどに戻ることもあるのではないかと思う。記事をsnsにシェアしない、タイムラインに流さない。snsが飽和する中で、少なくとも自分は今blogにエッセイを書いている。
静的で、片方向の情報・データの流通が中心であった1990年代半ばから2000年代半ばまでの期間は「Web1.0」と称される。
総務省 第2節 データ流通とデジタルサービスの進展より引用
web1.0の時代は、電子メールでメッセージを送信することや、掲示板(BBS:Bulletin Board System)を使ってコメントをやりとりするのが主なコミュニケーションだった。現在のSNSのような即時性や拡散性はなかった。
その頃を知っている自分としては、その頃がいい時代だったかも知れないと思う。今と比べて違うと思うのは、自分がこのblogを書いて、タイムラインに流さなくても誰かが読んでくれている可能性がある。場合によっては、自分が参加する文学フリマで、「あの記事読みましたよ」と感想をもらえるかもしれない。
実際、アクセス解析をしていると、数はそんなに多くはないがアクセスがある。お問い合わせフォームからもメールを受信したこともある。
騒がしい街並み(webの界隈)から、少し脇道を入って「麦茶を飲む」というのが、今自分がblogを書く楽しみになっている。blogを少し続けてみようと思う。
最終更新日 2026-10-11 by ササオタツヤ












